福岡高等裁判所 昭和58年(ネ)604号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
【判旨】
一債務不履行による賃貸借契約解除に基づく損害賠償請求(当審における訴の交換的変更前の旧訴)について
1 <省略>
2 そこで、右損害賠償請求について判断する。
控訴人は、昭和四四年五月四日、被控訴人から本件土地を建物利用の目的で期間二〇年、賃料月額二四〇〇円で賃借し、同年九月本件土地上に本件建物を建築し居住していたこと、昭和五四年二月二三日午前三時ころ被控訴人所有地の崖の一部が崩壊したことは当事者間に争いがない。
右当事者間に争いのない事実と後記認定の事実によると、昭和五四年二月二三日午前三時ころ発生した被控訴人所有地の崖崩れによりその土砂が本件賃借地に流入して本件建物が損壊したほか、擁壁の倒壊、土砂の堆積のため昭和五七年五月二六日(控訴人が債務不履行を理由として本件賃貸借を解除する旨主張する日)に至るも、本件土地を建物利用目的で使用することは不能であつたことが認められる。
3 被控訴人は、控訴人と被控訴人間の長崎地方裁判所昭和五四年(ワ)第一六五号事件につき成立した裁判上の和解により、控訴人の本件土地についての賃借権は消滅したか消滅が確認されている旨主張するので判断する。
前記2掲記の当事者間に争いのない事実に、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
(一) 本件土地付近一帯は孟宗竹の生えた斜面の山であつたが、被控訴人は、控訴人から自己の費用で山を切り開いて宅地に造成するので賃貸して欲しい旨の申し入れを受けて承諾し、昭和四四年五月四日控訴人と被控訴人間に、本件賃貸借契約が成立した。そこで、控訴人は約二五万円余の造成費用を投じて本件土地を造成し、東側隣接地との境に高さ一米余の土留用のコソクリート擁壁(以下「擁壁A」という・別紙図面にAと表示のもの)を設置し、約二四〇万円余の建築費を以て昭和四四年九月本件建物(64.13m2)を完成させた。
(二) 被控訴人は、控訴人が本件建物を建築した後、本件土地の東側隣接地を訴外栗原某に賃貸したが、東側隣接地の賃貸借も賃借人の自己負担において宅地に造成されたもので、その後の維持、管理、修繕は賃借人において負担する約定であつたので、被控訴人は本件土地の造成については勿論のこと東側隣接地の造成工事についても何ら関与しなかつた。
(三) 訴外栗原の東側隣接地の宅地造成に際し、本件土地との境界に盛土がなされたので、本件土地と東側隣接地とは高さ三米余の崖状となつただけでなく、訴外栗原はその上に高さ1.8米の石垣を築いて建物を新築したため、擁壁Aに対する土圧は著しく高まつたが、控訴人は東側隣接地からの土砂の落下を防ぐのを主目的に昭和四七年八月ころ約九万円の費用で擁壁Aに高さ1.8米、幅一〇糎のコンクリート擁壁(以下「擁壁B・C」という。別紙図面にB、Cと表示のもの)を継ぎ足し、犬走りにセメントをうつたにとどまつた。なお、その間に訴外栗原は、右建物を訴外稲尾末春に譲渡したので、東側隣接地については、昭和四六年一一月被控訴人と訴外稲尾末春との間に土地賃貸借契約が締結されたが、借地の施工、管理はすべて借主の負担と合意された。
(四) 昭和五四年二月二三日午前三時ころ大雨が降つたこと(同日午前三時から同四時までの雨量五一ミリ、前日午前九時から二三日午前六時までの間に144.5ミリ)、訴外稲尾方裏の排水溝に、広範囲な背後宅地の雨水、家庭雑排水が集中し、排水溝が溢れて同訴外人方の宅地に浸透し、切土と盛土の境に流入して擁壁A・B・Cの背後盛土を軟弱化したこと、控訴人が設置した擁壁A・B・Cはもともと、土留めを主目的とするもので高さ三米の崖を支えるには構造上欠陥があつたし、訴外栗原が設置した石垣にも構造上の欠陥があつたこと、以上三つの悪条件が重なり本件土地東側の崖が崩壊したが、崖の崩壊の原因としては控訴人の設置した擁壁の構造上の欠陥が大きかつた。
(五) 右の崖崩れで擁壁A・B・Cが、その擁壁より一米程しか離れていない控訴人の本件建物に倒れかかり、また土砂が本件土地に流入したため、本件建物の基礎部分がずれてその一部が損壊し、本件建物は建替えなければ利用できない程度に至つており、その再築費用としては昭和五四年四月当時で四六三万七七〇〇円を下らないこと、また、本件土地に流入堆積した土砂を除去し、崖崩れ防止のための宅地造成規制法に則つた工事をするには四五五万五〇〇〇円以上を要し、本件崖崩れ発生当時の本件土地の賃料月額六三〇〇円と比し著しく多額の費用が見込まれた。
(六) 右崖崩れの原状復旧及び控訴人の被つた被害の賠償につき、控訴人、被控訴人、東側隣接地の賃借人である訴外稲尾末春間に話し合いがもたれたが、折合うことができず、控訴人は被控訴人に対し、控訴人の被つた損害四六三万七七〇〇円(損壊した建物の復旧費)につき民法第七一七条に基づく賠償責任があるとして訴(長崎地方裁判所昭和五四年(ワ)第一六五号)を提起し、昭和五四年一〇月一六日の弁論期日に次のような裁判上の和解が成立し、被控訴人は同年一一月一五日三八〇万円を支払つた。
和解条項
一 被告(被控訴人)は原告(控訴人)に対し金三八〇万円の支払義務あることを認め、これを昭和五四年一一月一五日限り原告代理人事務所に持参又は送金して支払う。
二 原告はその余の請求を放棄する。
三 原、被告は本件和解条項以外になんらの債権債務が存在しないことを互いに確認する。
四 訴訟費用は各自の負担とする。
(七) 右和解成立当時、崖崩れの原状は回復されておらず、控訴人は、本件崖崩れ事故以降第三者から建物を賃借してそこに居住していたが、和解成立後の昭和五四年一二月二七日付内容証明郵便を以て、被控訴人に対し和解調書が成立した際に被控訴人は本件賃借地内の土砂を正月までに排除し控訴人が本件建物の修理改築工事ができるように配慮する旨約諾したとして、土砂の除去及び災害予防工事を要求したうえ、昭和五五年四月二二日被控訴人を被告として土砂の排除を求める本訴を提起した。しかし昭和五七年五月三一日原審第一二回口頭弁論期日において訴を変更し、被控訴人の債務不履行による損害賠償請求に改め(昭和五七年五月二六日付原審における訴の変更申立書参照)、本件崖崩れの発生と被控訴人が復旧工事をしないという不作為の競合により本件土地の賃借目的を達することは不可能に帰し昭和五七年五月二六日を以て本件借地権は消滅したものであると主張した(昭和五七年六月一九日付原審における準備書面参照)が、昭和五八年九月一九日原審において敗訴判決を受けたので本件控訴に及んだ後、その間の昭和五八年五、六月頃、訴外稲尾末春が崖崩れの復旧工事をなして本件賃借地が使用可能の状態に復したので、控訴人は、昭和五九年三月二九日当審第二回口頭弁論期日において、更に訴の交換的変更をなし、新訴の主位的請求として、債務不履行を理由とする解除の意思表示は要素の錯誤によるものであるとして本件賃借権の確認を求め、予備的請求として、本件建物の買取り請求を求めるに至つた。なお、現在も本件土地上に本件建物は損壊を受けたまま現存するが、控訴人は本件建物に居住していないのは勿論、本件崖崩れの後、本件土地につき控訴人と被控訴人間に賃料の授受ないし取決めがなされた形跡はない。
4 ところで、賃貸借のような使用収益を目的とする継続的法律関係においては、賃貸物件の著しい障碍による履行不能は、賃貸物件の滅失の場合と同様に賃貸借の趣旨が達成されなくなるので、履行不能に帰したことの帰責事由の如何によらず賃貸借は終了し、履行不能に至つたことに過失ある当事者の責任は専ら損害賠償責任として処理さるべきものと解するのが相当である。そして、賃貸物件の著しい障碍により履行不能であるか否かは、単に物理的な観点だけではなく社会の取引観念において賃貸人に使用可能の状態に賃貸物件の障碍を復旧せしめて賃貸借を継続せしめることが相当であるか否かの観点からも考慮して定めるべきである。本件の場合においてこれをみると、被控訴人が崖崩れを復旧して控訴人に賃貸することが物理的な観点からみて不可能でなかつたことは、現に右の崖崩れ後四年数か月後において本件土地の東側隣接地の賃借人である訴外稲尾末春によつて復旧されていることに徴しても明らかではあるが、被控訴人が本件土地に流入した土砂を排除して宅地造成規制法に則つた擁壁を構築するには崖崩れ当時の賃料収入の約六〇年間分に相当する出費を必要とするばかりでなく、本件賃貸借は、控訴人が自己費用で宅地の造成をする約束のものであつたことを考慮に入れると、被控訴人の経済的採算を全く無視して被控訴人に賃貸借契約存続のために賃貸物件の復旧をなさしめることは著しく公平の観念に反するものというべきで、社会観念上到底賃貸借の継続を相当とすべき場合であるとは思料されないので、本件土地の賃貸借は、賃貸物件の著しい障碍による履行不能として崖崩れの時点において消滅したものというべきである。このことは、控訴人が本件崖崩れの発生と被控訴人が復旧工事をしないという不作為の競合により本件土地の賃貸借目的を達することは不可能に帰したとして履行不能を事由に本件賃貸借契約解除の意思表示をなすに至つたことや、前叙認定のとおり、崖崩れ後現在に至るまで本件土地の賃料の授受その他の取決めが全くなされていないことによつてもうかがい知ることができる。もつとも、当審における控訴本人尋問の結果中には、被控訴人が控訴人に対し前記和解調書作成の際に和解条項に記載はないが本件土地内の土砂を正月までに排除して控訴人が本件建物の修理改築工事ができるよう配慮する旨約諾した趣旨の供述がみられるけれども、和解条項に記載されない事項を被控訴人が和解の際に約諾したと認めるに足る裏付証拠はないばかりか、前叙のとおり、本件和解条項以外になんらの債権債務が存在しないことを確認する旨の条項があることに徴し到底措信できるものではない。
以上のとおり、控訴人と被控訴人間の本件賃貸借契約は、控訴人の解除の意思表示をまつまでもなく、既に消滅していたと認めるのが相当であるところ、控訴人の債務不履行による本件損害賠償請求は、被控訴人に債務不履行の事由があれば、控訴人の被つた損害の賠償を請求している趣旨で、解除の意思表示を必ずしも前提とする場合にとどまらないと解すべきであるから、本件賃貸借契約が崖崩れによつて履行不能に帰したことにつき被控訴人の責に帰すべき事由があつたか否かにつき判断する。
前記3(一)ないし(四)認定の事実によると、本件賃貸借が履行不能になつたのは本件崖崩れによるものであるところ、その原因は、控訴人の設置した擁壁の瑕疵と、東側隣接地上にその賃借人が構築した石垣の瑕疵の競合によることが明らかである。しかして、東側隣接地上の賃借人が構築した石垣は破控訴人所有土地の構成部分をなす被控訴人所有の土地工作物であるから、右石垣に瑕疵が存した以上、被控訴人は、損害発生を防止するにつき相当な注意を怠らなかつたことを自ら主張立証して、その責に帰すべき事由のないことを明らかにしない限り(この点、民法第七一七条第一項の土地工作物所有者の二次的責任とは異るものと解する。)、控訴人の被つた損害につき、控訴人の設置した擁壁の瑕疵が右損害の発生に寄与した割合と、右石垣の瑕疵が右損害の発生に寄与した割合との比較において賠償責任があるというべきところ、本件に顕われた全証拠によつても、右石垣の瑕疵によつて控訴人が被つた損害について、被控訴人の責に帰すべき事由のないことは認められない。もつとも、被控訴人と東側隣接地の賃借人である訴外稲尾末春との間では、賃借地の維持、管理、修繕は賃借人の負担とする約定であつたこと前叙認定のとおりであるが、これは賃貸人たる被控訴人と右訴外人との内部関係であつて、この約定の存在をもつて被控訴人の右債務不履行上の責任を左右するものではないというべきである。なお、被控訴人は、本件賃貸借契約上被控訴人に修繕義務がなかつた旨主張するけれども、本件賃借地の修繕義務がなかつたからと言つて、控訴人が隣接地の被控訴人所有の土地工作物の瑕疵によつて被つた損害について被控訴人の賠償責任を否定すべき根拠とはなし難いので、右主張は失当というべきである。
(西岡徳壽 岡野重信 松島茂敏)